株式会社オダ・テクノ製作所
設立:2017年
従業員:10名
得意分野:鉄やステンレスなどの金属を切断や曲げの加工・溶接など行いクレーンや船の部品を作り出す加工
企業HP:http://oda-tecno.com/

どん底からの出発 父と立ち上げた製缶工場
交通の要衝であった旧中山道・関ケ原宿、その風情が残る松並木沿いに工場を構え、㈱オダ・テクノ製作所に伺い、代表取締役の小田義則さんにお話しをうかがいました。
製缶業を営む㈱オダ・テクノの創業は1997年、現代表である小田義則さんと、父の故・小田義信さんが二人で事業を起こしました。創業したちょうどこの年は、山一証券の経営破綻のニュースが日本中を騒がせました。
それまで、父・義信さんは、小田組として製缶会社の社内外注として製缶に従事、代表の小田さんは高校卒業後に㈱関ケ原製作所に入社し、製缶課で勤務していました。
しかし時代はバブル崩壊後「失われた10年」「戦後最大の不況」とも呼ばれた景気のどん底で、とにかく仕事がない。父の社内外注としての仕事が無くなってしまったのを見て小田さんは「親父!仕事がないなら一緒に何かやろうよ」と声をかけ、父と二人製缶を行う個人事業を立ち上げました。
「当時はバブル崩壊後で本当に仕事が無くて、『こんな時に自分たちでやるなんて、やめた方がいい』といろんな人に止められたね。でも父も仕事がなく、とにかくやるしかなかった。当時は景気も悪く、従業員の給料も低く、工場も安く借りれたので何とか事業を始めることができました。」と小田さんは厳しい状況にも負けず一念発起した当時のことを振り返ります。
小田さんはまず、大垣市の新田町に工場を借り、父が社内外注をしていた製缶会社から請け負うわずかな仕事からスタートさせます。そして13年間大垣の工場で地道に仕事を行い、その後2010年に関ケ原に現在の製缶工場を建設、2017年には法人化を行い現在は従業員10名を雇用する規模にまで成長しました。
「事業の転換期は、今メインでお付き合いのある取引先さんとの出会いかな。もう10年の付き合いになると思う。どん底からの出発だったけれど、安定的に仕事を頂けるようになって何とかここまで来ることができました。」と小田さんは話します。
自分の仕事が形として残って、誰かの役に立つ、そんな誇れる仕事
製缶とは鉄やステンレスなどの金属を切断や曲げの加工・溶接など行いクレーンや船の部品を作り出す加工のことを言います。
「製缶というとよく『缶詰の缶を作っているの?』と聞かれますが、そうじゃない(笑)。製缶と言っても様々で、重機やロボット土台、船のエンジンを取り出すクレーン、船の救命ボートを下すクレーン、大型の薬品を入れるタンク、トンネルを掘るシールドマシンのカッターヘッド、ダンプの荷台まで本当にいろんな仕事があって面白い。うちではそれ以外にも、建築用の鉄骨加工の仕事も多く受けていて、誰でも知っているテーマパークや駅前の有名なビル建築にもうちで作った鉄骨が使われてたりしますね。」そう話す小田さんに製缶や鉄骨加工の魅力についてもお聞きしてみました。
すると小田さんは幼少期のころ父・義信さんとのとあるエピソードを教えてくれました。「僕がまだ小さかったころ、父は関ケ原製作所で製缶の仕事をしていました。父の出身地は長崎県の五島列島という島だったんですが、里帰りした時に乗ったフェリーで『この部品は俺が作ったんだよ』と教えてくれてね。父が指さす先には関ケ原製作所の刻印があったのを見て僕は、『お父さんすごい!』と子供ながらに父の仕事に感動した思い出があります。」
小田さんはその後、父の背中を追うように、関ケ原製作所に入社し製缶の道を進むことになったといいます。
「やっぱりこの仕事の魅力は、自分が作ったものが形として残ることだと思います。そして自分が作ったものが誰かの役に立っているのを見ると誇らしくなります。父と僕がそうであったように、自分も子供を連れてよく完成したところを見に行きましたね。」
小田さんが選ぶ過去一番の面白い仕事
小田さんから過去に手掛けた面白い仕事をいろいろと教えていただきました。名古屋のビル群の鉄骨製作、レゴランドの鉄骨製作、ディズニーシーのアトラクション(乗り物)のベース、お台場のセガにある本物の車に乗ってゲームができるモーションライドのベースなどなど。
その中でも最も面白かったというのがシールドマシンのカッターヘッドだそうです。
「シールドマシンとは、トンネルを掘る掘削機のことで、その先端にカッターヘッドがついています。このカッターヘッドはおろし器のように細かい刃を取り付け、回転することで掘削するんですが、オダ・テクノではこのカッターヘッド部分を製作したことがあります。とにかく形状が複雑で、図面をもらった時には頭を抱えました。図面をもとにどの部材を用意し、どう加工して、どの順番に組み上げるかが、難しい仕事でしたが、完成した時の達成感は一番大きかったのを覚えています。こういう難しい仕事は職人としやりがいがありますね。」オダ・テクノが作り上げたカッターヘッドの写真が事務所内の壁に今も飾られています。
特殊ダンプの荷台
大型重機のフレーム
オダ・テクノが大切にする品質と納期
「従業員には『当たり前のことを当たり前にできる』ことが大切と常々言っています。うちの強みは何といっても『品質と納期』これが最も会社の信用に繋がります。
製缶の仕事は手先の器用さは重要で、確かに個人差はありますが『下手でもきれいな仕事をする』ことを従業員には意識してもらっています。きれいな車とボコボコの車のどちらを買うか、と言われれば、もちろん綺麗な車を買いますよね。溶接部の検査では、外観・脚長・出来栄え・ブローホールを検査しますが、お客様が指定する基準をクリアするのは当たり前で、その上で綺麗な出来栄えであれば、さらにお客様の満足につながるはずです。
これからのオダ・テクノ
オダ・テクノでは、今後第三工場を建設し、さらに事業規模を大きくしていきたいと考えています。
「2024年には第二工場を建設しました。第一工場では主に、切断や溶接・組立を行うメイン工場として稼働していますが、第二工場は塗装を行う場所として塗装ブースを設けました。従来、塗装は外注をしていたのですが、取引先からの要望もあり塗装を内製化することができるようになりました。」
「おかげ様で仕事の依頼も多く、第一工場が手狭になってきているので、ゆくゆくは第三工場を建設して更に多くの仕事を受けれるようにしていきたいです。そして将来的には売上規模も現状の2倍にまで持っていけるといいですね。ただし今のお客様あってのオダ・テクノだから、今のお客様を第一に考えていきたいと考えています。」と将来の展望をお聞かせいただきました。
第二工場の塗装ブース
初心者も歓迎!やる気ある製缶職人を募集中!
そんなオダ・テクノでは、製缶職人を募集しています。小田さんは求める従業員像について、「やる気がある人が良いですね。職人として、こうなりたい!ああなりたい!と強く思えるような人。将来自分で工場を持ちたいという独立意欲のある人にも是非応援していきたいと思っています。」と話します。
オダ・テクノの製缶職人は現在8名。70代1名、50代2名、40代1名、30代1名、20代4名という年齢構成で、ベトナムからの技能実習生も勤務しています。「今年にはいって20歳の若い従業員も入社してくれました。まだ見習い中ですが同世代の先輩に教えてもらいながら頑張って技術を身に着けています。」
製缶業界は年々高齢化しており細かい作業を必要とする溶接等の仕事では、やはり若手が活躍できるそうです。「うちの会社は、他の会社と比べて比較的若い従業員が多いので、頼られることが多いですね。業界の平均年齢が高くなってきているので、若い方が技術を身に着けていけば、今後活躍できる業界でもあると思います。もちろん経験者は大歓迎ですが、経験が無くても逆に『うちのやり方』を身に着けてもらえるので未経験の方にも是非応募してもらいたいです」と小田さん。オダ・テクノではこれから職人を目指す方にも、資格取得や技術習得を手厚くサポートしているということです。
小田さんが話してくれた製缶業の魅力。自分の仕事が形として残って、誰かの役に立つ、そんな誇れる仕事を、オダ・テクノで一緒にしてみませんか?
- 【番外編】第二工場裏にある
意外な福利厚生施設!?
オダ・テクノさんの取材も終わりに近づいたところ小田さんがニヤリ、「面白いものを見せてあげる」と、第二工場の裏を案内してくれました。工場の裏にあったのはなんとバッティングの練習場!さらに本格的なバッティングマシンまで!
聞けば小田さんは大の野球好きで、学校では小中高と野球部に所属、40代前半までは草野球をしていたとか。今はお子さんも野球をしていてそのサポートもしているそうです。
いやぁこれはスゴイ福利厚生施設ですねぇ!従業員さんの昼休みの息抜きにばっちりじゃないですかとお聞きすれば、「そう!使えばいいって言ってるんだけど、それが誰も全く使わなくて(笑)」と小田さんは嘆きます。「将来的には会社で野球チームを作るのが夢。野球が好きな若い従業員が増えてくれるといいね。」と、野球好きな方も大歓迎のオダ・テクノさんのご紹介でした。